第44回丹波篠山ABCマラソン2024-03-03
昨日は丹波篠山マラソンでした。昨年は往復4時間の通勤をしていた時期で十分な距離が踏めておらず、30km以降に足が攣りまくり、ゴール後に救護テントのお世話になる有り様で、タイムは3時間3分でサブ3を死守できませんでした。昨シーズンのレース出走はこの篠山だけだったので、初サブ3以来続けていた毎シーズンサブ3も途切れてしまいました。
その後、昨年6月に大阪に引っ越し、往復4時間の通勤から解放されて、徐々に練習量を回復させていきました。そして今シーズンに入りましたが、12月に走った加古川マラソンでも逆風地獄に負けてしまいサブ3復帰がならず、2年以上サブ3から遠ざかる状態になってしまいました。
前回大会のリベンジを果たすためにも、現役のサブ3ランナーを名乗るためにも、今回こそサブ3復帰を果たさなければならないと思って臨んだレースです。
昨年までは当日早朝に三宮から出る直行のマラソンバスで現地入りし、帰りも直通のマラソンバス1本で三宮に帰ってきていたのですが、今回からはマラソンバスが利用できません(大阪からもマラソンバスは出ていますが、住んでいるのが大坂の南のほうなので、マラソンバスの出発時間に間に合いません)。幸いなことに、篠山でホテルが取れたので、初めて前泊して篠山マラソンに臨むことになりました。
ホテルは朝夕食付きで、夕食は牡丹鍋に、刺身に天ぷら、締めのうどんに、デザートまで付いて、豪勢なものでしたが、カーボローディング的には炭水化物が少ないのが残念でした(ホテルはフルマラソン前のランナーのためにメニューを考えているわけではないので仕方ありません)。
夕食のときに、隣の席の方に「明日、走られますか」と話しかけられ、いろいろお話を伺いながらの食事になりました。ウィンドブレーカーを着ていたので、マラソンのために宿泊しているのが丸わかりだったのです。
その方はなんと81歳で(そんな年齢には見えませんでしたが)、「篠山は関門の制限時間がきついので今回が最後かもしれない」とおっしゃっていました。もともと武道をされていたそうで、67歳からランニングを始め、走りすぎて膝を痛め、両膝とも半月板を切除しながらも、今なおフルマラソンはもちろん、ウルトラマラソンまで走られるとのことでした。自己ベストを聞かれたので、「2年以上前のタイムですが、2時間54分で・・・」と答えたところ、「こんなところでサブ3の方に会えるとは」と喜んでいただけたのですが、どう考えてもサブ3より80代でウルトラマラソンを走るほうがすごいので、複雑な気持ちでした。
驚きの出会いのおかげで有意義な夕食となり、自分も頑張らなければという思いを新たにして、夜は早めに就寝。
翌朝は、前泊の特権で、ホテルで十分余裕を持って朝食も排便も済ませ、路線バスで会場へ向かいました。去年まではマラソンバスで会場に着いてからおにぎりを急いで食べ、会場の仮設トイレで何とか排便を済ませていたので、前泊のありがたさを実感しました。
スタート前の気温は低かったのですが、ほとんど雲のない晴天で日差しに春の暖かさがあったので、体感温度は実際の気温より高く感じました。スタート待ちの間も100円ショップで買ったビニールポンチョで風を防げたので寒さに苦しむことはありませんでした。
10時40分スタート。しかし、序盤からいまいちスピードに乗れず、無理矢理スピードを上げている感覚があり、それがさらに焦りを生んで力が入ってしまう状況でした。そのうち、左足首より下全体が痺れるという謎の症状が現れ、前半はほぼその状態で走り続けました。篠山産業高校のブラスバンドの「負けないで」を聞いて気持ちを奮い立たせた直後くらいに、不思議なことに左足の痺れが急激に消えていきました。ちょうどその後からコース中で最大のアップダウンが始まります。
このアップダウンを想定して、かもめ大橋の坂をひたすらリピートするロング走を実施したのです。今こそその成果を発揮する時だ、と意気込んで坂道に挑んでいきました。ところが、実際にはこの20kmから25kmのアップダウンで完全に脚を削られてしまい、その後、どんどんフォームが崩れ、それがさらに脚へのダメージを増幅させていきました。事前の想定では、練習の成果で20~25kmのアップダウンは余裕で乗り切り、31kmの折り返し後のしつこいアップダウンと逆風に耐えられる余力を残しておくつもりだったのですが、そのプランは完全に崩壊しました。なお、プランBは存在しません。
折り返し後は、激しい逆風のせいもあり、去年並みの地獄ロードとなりました。ただ、去年と違うのは、絶対に止まらない、歩かないと心に誓っていたことです。34km過ぎあたりで3時間のペーサーに抜かれ、35kmのラップは5分台にまで落ち、サブ3復帰は絶望的になりましたが、それでも絶対に歩きませんでした。81歳で制限時間の壁と戦っているランナーがいるんだ、俺が歩いてどうする。
もはや足のどこが痛いのか、体のどこが苦しいのかもわからない痛さと苦しさに耐えて、ゴールすることだけを考えて脚を動かし続けました。いよいよ篠山城跡東側の直線に入ったところで余力の全てを注いでラストスパート。結局、タイムはグロスで3時間02分53秒、ネットで3時間02分47秒。
サブ3復帰が成らなかったのはもちろん悔しいのですが、それ以上にショックなのは、十分な練習ができず後半止まりまくった昨年のタイムとほとんど変わらないということです。いったい何のために引っ越してまで走る時間を確保したのか。この半年あまりの練習は何だったのか。
ただ、ゴールしてみると、これまでのレースと違って足が全く攣りません。救護テントのお世話にまでなった昨年の篠山は特別としても、これまでのフルマラソンはゴール後必ず多かれ少なかれ足が攣っていました。それがないということは、脚の丈夫さだけは練習で手に入れることが出来たと言えるのかもしれません。あるいはあれだけ苦しんだにも関わらず、実は力を出し切れていなかったということなのでしょうか。
ともかく、これで今シーズンのレースはすべて終わり、来シーズンまでサブ3復帰の可能性はなくなりましたので、3年間サブ3から遠ざかることが確定しました。もはや現役のサブ3ランナーとは呼べないでしょう。来シーズンにサブ3復帰できるかどうかも怪しくなってきました。当たり前のことですが、来年にはまた1歳年をとります。2年前にできたことが今できなくなっているのに、1年後にそれができるようになるというのは自然にはありえないことのように思えます。
とはいえ、サブ3を達成できようとできまいと、フルマラソンを完走するというのは、何度やっても素晴らしい体験です。今回、食べ物の屋台も、猪汁のふるまいも完全復活した丹波篠山マラソンを走り、ゴールできたことは、タイムに関係なく幸せでした。
3Dマップ走行軌跡
MY PERSONAL RECORDS
Full Marathon : 2:54'37" ( 二度目のかこがわみなもフルマラソン 2021.12.19 )
Half Marathon : 1:18'40" ( 2020 UNICEFカップ神戸バレンタインラブラン 2020.2.9 )
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿