今年もまた大学入学共通テストを解いてみました。科目は世界史と日本史、それと去年から漢文も解いています。


世界史・日本史ともに88点。一昨年は世界史91点、日本史82点、昨年が世界史・日本史とも91点だったので、まあ、だいたい同じくらいですが、世界史で9割を切ったのは悔しいですね。しかし、ただのおっさんがノー勉で9割近く取れれば十分でしょう。例年述べているとおり、共通テストの世界史・日本史は、単なる知識の有無ではなく、史料を読み解くリテラシーと、史料から得た情報を知識と結びつけて質問に適切に回答する「知識の応用力」が問われる試験になっていて、今年もその傾向に沿ったものだったと思います。

目を引いたのは、世界史の第2問の問4で正解が2つ存在し、その解答によって次の問5の正解が異なるという、ちょっと変わった設問があったことです。こんな形式の設問は初めてじゃないかと思いますが、確証はありません。今の技術ならこういう正解設定でもマークシートの採点に問題ないのでしょう。今後はこういうちょっと変わった設問も増えていくのかもしれません。

漢文のほうは満点でした。詩がテーマになっている以上は一問も落とせませんね、漢詩人の名にかけて!(「じっちゃんの名にかけて!」っぽく)しかも、今回の題材になっている杜牧の「華清宮」は3年前、台湾パイナップルを詠んだ詩で転結の下敷きにした詩です。(→臺灣鳳梨【2021.04】(台湾鳳梨))おりしも昨日は台湾総統選だったので、個人的に何か因縁めいたものを勝手に感じています。問題自体はいたって素直で解きやすいものだったと思いますが、複数の文献を示して、視点の違いを読み解かせるという趣向は、世界史・日本史の出題傾向とも共通していますし、フェイクニュースや陰謀論があふれかえる今の世の中を生きる受験生たちへ向けた「ひとつの文献・資料だけから物事を決めつけてはいけない」という出題者からのメッセージかもしれません。

せっかくなので、今回の問題を訳しておきましょう。

【詩】

華清宮

長安回望繡成堆

山頂千門次第開

一騎紅塵妃子笑

無人知是茘枝来


華清宮

長安より回望すれば 繡 堆を成す

山頂の千門 次第に開く

一騎の紅塵 妃子 笑ふ

人の是れ茘枝の来たるを知る無し


訳:長安からふりかえって見渡すと綾絹のように美しい山々が重なりあっている。その山々の頂に設けられた関所の門が遠くから近くへ順番に開いていく。やがて一騎の早馬が砂煙をあげながら宮殿に駆け込んでくると、楊貴妃がほほ笑んだ。実はこれは遠く南国からおくられてきた茘枝が届いたのだということを知る者はいない。


【資料Ⅰ】

『天宝遺事』云「貴妃嗜茘枝。当時涪州致貢以馬逓、馳載七日七夜至京。人馬多斃於路、百姓苦之。」


『天宝遺事』に云ふ、「貴妃 茘枝を嗜む。当時 涪州 貢致すに 馬逓を以てし、馳載すること七日七夜にして京に至る。人馬 多く路に斃れ、百姓 之に苦しむ。」と。


訳:『天宝遺事』では以下のとおり述べている。「楊貴妃は茘枝を好んで食べた。当時、涪州から貢物として茘枝を献上するのに、早馬を乗り継いで運んだが、七日七晩かけてやっと都に着いた。その間、多くの人馬が路上で斃死し、この負担に民衆は苦しんだ」


【資料Ⅱ】

『畳山詩話』云「明皇致遠物以悦婦人。窮人力絶人命、有所不顧。」


『畳山詩話』に云ふ、「明皇 遠物を致して以て婦人を悦ばしむ。人力を窮め、人命を絶つも、顧みざる所有り。」


訳:『畳山詩話』では以下のとおり述べている。「玄宗皇帝は遠方の珍しいものを取り寄せて楊貴妃を喜ばせた。そのために人民の力を使い果たさせ、人民の命を奪っても、気に掛けないところがあった。」


【資料Ⅲ】

『遯斎閑覧』云「杜牧華清宮詩尤膾炙人口。拠唐紀、明皇以十月幸驪山、至春即還宮。是未嘗六月在驪山也。然茘枝盛暑方熟。」


『遯斎閑覧』に云ふ、「杜牧の華清宮詩 尤も人口に膾炙す。唐紀に拠れば、明皇 十月を以て驪山に幸し、春に至りて即ち宮に還る。是れ未だ嘗て六月には驪山に在らざるなり。然れども茘枝は盛暑にして方めて熟す。」


訳:『遯斎閑覧』では以下のとおり述べている。「杜牧の華清宮の詩はもっとも人口に膾炙している。『唐紀』によれば、玄宗皇帝は十月になると驪山に行幸し、春になると長安の宮殿に戻ったという。つまり六月に驪山にいたことはないのである。ところが茘枝は夏の盛りになってはじめて熟すのだ(したがって茘枝が驪山に取り寄せられたはずはない)」


【資料Ⅳ】

『甘沢謡』曰「天宝十四年六月一日、楊妃誕辰、駕幸驪山。命小部音声、奏楽長生殿、進新曲、未有名。会南海献茘枝、因名茘枝香。」


『甘沢謡』に曰はく、「天宝十四年六月一日、貴妃の誕辰、駕 驪山に幸す。小部音声に命じて、楽を長生殿に奏して新曲を進めしむるも、未だ名有らず。会(たまたま) 南海より茘枝を献ずれば、因りて茘枝香と名づく。」


訳:『甘沢謡』では以下のとおり述べている。「天宝14年6月1日、楊貴妃の誕生日に、玄宗皇帝一行は驪山に行幸した。宮中少年楽団に命じて長生殿で音楽を演奏させ新曲を奉呈させたが、曲名がまだなかった。たまたまその時、南海から茘枝を献上してきたので、それにちなんで『茘枝香』という曲名をつけた」


受験生のみなさん、特に被災地の受験生のみなさん、大変だと思いますが、頑張ってください。結果が良くても、そうでなくても、最終的にはなんとかなります。何の力にもなれませんが、健闘を祈っています。